2010年06月25日

〜心塾の基本コンセプト〜

1、なぜ『学問のススメ』なのか
    
 今、子ども達を囲む環境はとても複雑になり、多様化しています。
 大人社会では、不景気が続き、一寸先が闇という状況が続き、当分このままであろうと予測されています。
 そんな時代に当塾では『学問』を子ども達に勧めようと考えています。
 話を進める前に、今の子ども達が置かれている環境や、社会情勢を知っておく必要があります。

1−1 学歴社会の崩壊?

 いろいろな新聞や雑誌等でも『学歴社会は完全に崩壊した』などと言われています。そもそも『学歴社会』とは何なんでしょうか?

『学歴社会』
…『一流大学⇒一流会社』=幸せな人生
 
といった感じでしょうか。
 ここでいう一流大学=偏差値の高い大学であり、一流会社=一部上場していたり、給料が高かったり、世界をまたにかけた企業と定義できると思います。
 勉強は基本的に楽しいものではありません。ゲームをしたり、好きな音楽を聴いたり、友達とカラオケにいったりした方が楽しいに決まっています。そういうものを我慢しながら勉強していくと言うのは強い意志が要求されます。
 つまらないと他の人が思うようなことを、コツコツとやっていく⇒成績が上がる⇒企業が評価するといった構図かと思います。
 
 なぜ成績がいいと会社は評価するのでしょうか。今の大学入試を見ていると、特にセンター試験などが要求しているのは、
?事務処理能力
?記憶力
の2つであると思います。



?の事務処理能力ですが、数学などは圧倒的な計算量ですし、英語にしても、国語にしてもその問題量たるや想像を絶します。
確かにセンター試験をこなせる能力があれば、ある程度の仕事はこなせるでしょう。(事務系の雑多な仕事であれば…ですが)


?の記憶力が社会ではあまり要求されていないという気もしますが。

これ以外に、実社会に出て役に立つことを考えてみると、

?自己分析能力

も上げられると思います。
 成績を上げようとする最初には、どこを理解していないのかを分析することから始めますが、勉強をする際に自分を冷静に分析できるようになっておけば、きっと社会人となったときに役に立つと思います。次に、

?期日管理能力

も勉強にも、社会人生活にも必要とされる能力ではないかと思います。試験という一定の期日に向けて限られた時間のなかで精一杯の努力をしていくと言う点では、社会人生活の基盤ともいえる能力ではないでしょうか。

 高学歴の人=この4つの能力がある人

と会社の採用担当の社員が判断しても、それは無理もないことでしょう。なかなか人間に優劣をつけることには抵抗を感じつつ、採用される人間と採用されない人間とを分けないといけないわけですから。

ところが、バブル経済がはじけた頃から様子が変わってきたと思います。この4つの能力では、足りなくなってきた時代ともいえます。
 右肩上がり神話も、土地神話も崩れ去り、一流会社といえども倒産の憂き目に遭う時代になってしまいました。
 前述の通り、勉強は中途半端にしていると、これが最高につまらない。そして、その勉強ができるようになるには、その無味乾燥に見えることにも耐えなければならない。=我慢をする必要があります。

我慢=成果への期待(自己への投資)

と、とらえると、いろんなことが見えてきます。

 従来の考えでは、その成果が、幸せな人生だった。ところが現在では、その幸せな人生を約束するはずの一流企業も安心できないとなると、『我慢するのやーめた』という子どもが出てきてもおかしくありません。ある意味仕方のないことかも知れません。

1−2 どうやって生きていくべきか再考を

 こうした世の中になってくると、幸せな人生の定義を少々変更する必要がでてくるわけです。

 一流企業=幸せな人生


ではなく、


どうやって自分で生きていくか=何をして飯を食うか



が幸せか不幸せかを左右するのではないでしょうか。

 これまでの塾での私の生活を振り返ってみると、確かに一流大学と言われる学校に合格した子どもたちがいます。
 その子たちのことを振り返ってみると、ほぼ全員明確な夢を持っていたことに気が付きました。

・京都大学に進学したI君⇒理学療法師
・佐大医学部に進学したT君⇒医者(当然)
・青山学院大学に進学したK君⇒考古学者
・名古屋大学に進学したT君⇒弁護士
・筑波大学に進学したG君⇒学校教師
・山口大学に進学したY君⇒ロボット工学


 
この子たちは、全員速答できるほどのレベルでこの職業に就きたいと考えていました。
 だから、どんなに私にきついことを言われても、耐えられる。(この子どもたちは、全員私に泣かされてるような気が…)


 幸せという概念が、画一的でなく人それぞれになった。
 第3次産業に従事する人が増大し、高度経済成長を支えてきた製造業従事者が全体の1/4になった現在は、知識労働者(仕事に高度教育を必要とする人)が増大しています。すなはち、知識が価値を生み出していると言えます。
 高い学歴ではなく、何か一つの分野でも専門的な知識と学力が必要とされています。
そして、私は、



生きる力=社会に出てお金を稼ぐ能力

   



ととらえています。



1−3 だから『学問のススメ』なのです。

 ですから生きていくために、もっと専門的なことを学んでいくべきだと考えました。
そこで『学問のススメ』なのです。勉強や学習ではないのです。

 『自ら学んで問う』のです。


人から教わったテクニックを真似しても、応用問題は解けないし、生きる力など身につきません。自ら考える習慣がないと生き抜いていけそうもありません。それを実践するのに学校のように集団の中での一斉授業では困難を極めます。


 個人個人見ている方向が違うのに、一斉に同じ授業をしていては、高い効果が望みにくいと考えました。ですから当塾では、一斉授業を行っておりません。

 個人個人に合った問題集をどんどん解いていく中で疑問に思ったことを私に聞いて、さらに解いていくというスタイルです。また、高校生くらいになると、知識を増やさなくてはならない部分が増えてきますので、各自に合った本を推奨して、本から学んでもらっています。


 とはいえ、必要なことがあれば、必要な人間を集めて授業が始まったりします。

 特に最近『論理』なるものが、学校教育のなかではほとんど教えられておらず、文型科目の点数が伸び悩んでいる子が多かったので、『論理』については、英語を用いてたっぷり授業をさせていただきました。
 神出鬼没、千差万別といった印象を生徒達は感じたかもしれません。


2、『学問のススメ』方

2−1 『identity(アイデンティティー)』の獲得

 では、具体的に子ども達に学問を勧めていく時にどういったことに注意すべきか考えていきたいと思います。


  高校の現代社会の教科書の中にも登場しますが、エリクソンという発達心理学者がいます。そのエリクソンが著書「幼児期と社会」(みすず書房)の中で、アイデンティティーという表現を使っています。


 これは難しく言うと、自己同一性という訳がつけられ、『自分が自分であると思える感覚』のことで、自我は多くの社会的発達の過程において多くの他者や集団や社会の価値・規範・役割期待を取得しますが、その結果それぞれの他者・集団・社会と共通する観点・一般化された他者の観点を獲得していきます。個人はそれぞれの状況に応じて一定の社会的役割を果たすことによって、自分の自我を確認します。たとえば、長男・長女としての自分、友人としての自分、会社の一員としての自分、日本人としての自分などの役割を果たしていくことで、自分の自我(理性)を確認、検証していくのです。
 このようなそれぞれの「〜としての自分」を獲得していくのですが、これら複数の「〜としての自分」の同一性を統合し、秩序付け組織化する普遍的自我の連続性・斉一性・普遍性を自我同一性といいます。

 これは、難しいですね。高校の現代社会の問題となってしまいましたが、簡単にいうと…
 他の人とかかわることによって、その中で、「他者から見た自分てこんなだろうな」という感覚を覚えます。それと自分が思っている自分像を重ね合わせた結果、それが同じだったら自我が確立したとしようという考え方です。
 エリクソンは、そんなidentity を思春期に獲得すべきと言っています。つまり、思春期前の子ども達には、他者の影響があまりなく、それこそ自分の世界のわけです。ところが思春期になると、他者が自分の中にどんどん入り込んでくる。他者が気になりだします。だから思春期になると鏡を見るんですね。他者によく見られたいとおもうわけです。
 そんな思春期の子ども達が、最初に対峙する他人が…親です。

2−2 さあ!親の出番です!

 子どもと最も距離が近い人…それが親です。
塾に最初に面談にこられた保護者の皆さんの要望は、ほとんどが学力の向上です。
 その子どもに塾中に話を聞いてみると、その話をするとみんな釈然としない様子。



   子どもの欲望VS親の期待



という構図が浮き彫りになります。当然子ども達は遊びたいし、勉強などしたくない。反発は必至です。


 ここで親(保護者)の皆さんに確認したいのは、その親としての期待の中に、親の都合(親が安心したいから勉強しろといってないか)や『したごころ』(=親にとって都合がいいから)がないかどうかです。話を伺っていると、客観的にそうとれる発言をするお母さんが結構いらっしゃいます

 絶対そんなことはないという保護者の方は、それで問題ないんですが、ここでうまく折り合いがつかないと子どもはIdentityの獲得に失敗したことになり、精神的に不安定になってしまいます。

 子どもに「勉強しなければならない」や「勉強しなさい」と言うのであれば、その子どもに対して「なぜ勉強しなければならないか?」という疑問に答えを返してあげるだけの論理力を身に付けないといけないと思います。

 もしはっきり理由が説明できないのであれば、子どもと一緒に勉強し探せばいいと思うのです。子どもと一緒になって歩んでいくスタンスがあれば大丈夫だと思います。
 子ども達は、思春期に想像を絶するような葛藤をしています。それを尊重して、選択した道を肯定してあげてみてはどうでしょうか。

 だからと言って子どもの言うことの丸呑みは問題があると思います。子どもの意見を一旦尊重してあげて、親としての希望をきちんと論理的に(感情的になることなく)伝えるべきだと思います。そんな議論ができたら最高だと思います。
そして『学力の境界線』(=ここまでは互いに納得できるという許容量の限界線を確認してみてはいかがでしょうか。


2−3 塾にできること

 心塾のような塾でできることは、何があるでしょうか。これまで言ったようなことはなかなか学校では教えにくいことだと思います。一斉指導を行っていかなくてはいけないという状況の中で、学校の先生達は、相当苦しんでおられると思います。


 我が心塾では、そんな状況から、次のような提案をしていきます。

?『〜したい』が源泉

1−3で申し上げたとおり、心塾では一斉授業を行いません。目標は1人1人ことなるものです。勉強については、その本人の納得がないと全く進みません。いろんな話をしていく中で、本人が納得する線はどこにあるか探っていきます。少しずつ、将来どんな自分になりたいかの話をしていきます。
 その中で、Identityの獲得のお手伝いをさせていただこうと思います。
 自分が何になろうとしているか…とか、何をしたいのか…といったことは、なかなか簡単に答えが出るものではありません。

ですから、心塾の空間を『自分の将来のために自分自身のことを考える時間と空間』と位置付けています。

 そんな中で、はっきりとした目標を自分で立てることができると、子ども達はどんどん勉強するようになります。それこそ寝食を忘れて勉強しだします。


?個別対応


このようにして決定したことは、それこそ千差万別、十人十色です。一人一人の目標に応じた問題をどんどん解いていっていただきます。その中でわからないところがあれば、質問をどんどんしてもらいます。
問題の答え合わせは一切を私がすることで、生徒がわかっていない部分を探っていきます。その場合、わかっていない人がたくさんいる場合は、突然の授業が始まったりします。


?社会にでることの醍醐味を感じてもらう


   社会にでると一口に言っても、大学を22歳でストレートに卒業したとしても、定年までの約40年間もあるわけです。とにかく長い。
   そんな長い社会人生活を乗り切っていくために必要な能力とは、

(1)コミュニケーション能力
(2)友達を作る能力
(3)アイデンティティーを確立する能力
     くりかえしになりますが、アイデンティティーとは自分が自分であると思える感覚のことで     す。
(4)知識社会で行われる激しい競争に勝ち抜くためのより専門化した知識

  であると考えます。それさえ体得していけばこの不況の波もなんとか乗り切れるのではないでしょうか。そんなことも伝えていきます。